「SASUKE」に「日本ガンバレ」は必要ない

今日は正月SP「SASUKE 2011」を見ていました。
子供のころから見ていて(第一回の記憶がある)大学生になった今でも毎回かなり楽しみに見ています。今回も完全制覇者は出ませんでしたが、必死に取り組む姿に「(失敗するのが怖く)もう見ていられない…」というくらいのめり込んでしまう。今回は一番好きな参加者であるオールスターズの竹田さんが出ていなかったので楽しさ半減でしたが…。奥山さん、リー・エンチといった好感の持てる参加者達が奮闘していたので最後まで楽しく見れました。

さて、そんなSASUKEですが、今回見ていてすごく気になった点がありました。


商業主義と「アメリカ勢vs日本勢」という構図 


今回のSASUKEではアメリカ人参加者の活躍が目立ちました。常連のオロスコに加え、脅威の身体能力を見せたキャンベルなど、結果的に4人ものアメリカ人参加者が3rdステージまで進出しました。(これは調べてないですが、おそらく過去最多では)
さて、そうした中で気になることが。1stステージでアメリカ人参加者がその活躍を見せ始めると、実況が次のような言葉をしきりに発し始めます。
「日本人の誇りを見せてくれ!」
「日本のSASUKEを守ってくれ!」…etc。
そう、番組の見せ方として「アメリカ勢vs日本勢」という構図を採用し、日本人参加者の活躍を煽って見せたのです。これまでも「オールスターズvs新世代」というような構図で番組を盛り上げていましたが、今回からは明確に「日本」という部分を強調し番組を作っていました。


こうした構図を採用し、番組を盛り上げる。背景にはもちろん商業主義があります。あらゆる番組コンテンツは視聴率獲得競争から逃れられない。「SASUKE」ももちろん例外ではありません。しかも今回は21時放映スタートで、例年に比べ2時間ほど短い尺。あきらかに無理な編集がこちらに伝わってきてしまうほどで、「SASUKE」もなかなか視聴率競争などにおいて厳しい立場にあるのかなと思わされてしまいます。
そうした中で採用された今回の構図。背景にはアメリカ国内での「SASUKE」の盛り上がりがあるように感じます。番組で採用される構図は基本的に大会ごとに活躍する選手たちをラベリングすることで成り立っています。「オールスターズ」「新世代」「アメリカ勢」…そうした名称を与え、対決などの構図をとらせることで番組を盛り上げています。
そんな中で今回明確に表れた「アメリカ勢」というラベル。アメリカ国内では「ニンジャウォーリアー」というTBSが「SASUKE」のフォーマットをアメリカのテレビ局に売ったことで始まった番組があり、その番組出身の参加者が今回旋風を巻き起こしていました。元々アメリカでは、フリーランニング(パルクール)などが盛んなようで(リーヴァイのようにプロの選手がいる)、そういった自らの身体を使い、魅せながらもコースを移動することを楽しむ文化のようなものが根付いているように思います。プロ以外にも趣味で楽しむ人も多く存在するようで(今回様々な職業の方々がいました)そういった背景の中「ニンジャウォーリアー」という場が与えられたことで盛り上がりを見せ(結構視聴率が高いらしい)、本家である「SASUKE」に乗りこんできたと。今大会以前にもリーヴァイやオロスコのような「ニンジャウォーリアー」出身の参加者はいましたが、今回はよりそのムーブメントの高まりが熟し、多くの参加者が活躍するというような結果になったのではと思います。それゆえ、ある意味「アメリカ勢」というラベル付けは当然の帰結だったように感じます。


見え透いた「日本ガンバレ」の物語


今回のような「日本ガンバレ」的な構成はテレビの世界ではよく見受けられ、非常に採用しやすい物語であるように感じます。例えば、五輪やW杯。現在日本のテレビでは競技そのものよりも日本人選手や日本チーム活躍を映し、応援するという構図を採用しています。採用する理由の一つは敷居の低さ。つまり、競技の知識などがなくとも「日本」という物語さえ与えておけば視聴者は(日本人であれば)そのコンテンツを享受することができるというわけです。

基本的には今回の「SASUKE」もそれと同じ論理ではないかと思います。「日本ガンバレ」という物語の導入は見る人の敷居を下げ、視聴率の回収へと繋げやすい。非常に便利な物語であるわけです。それゆえ、前述したアメリカの「SASUKE」(「ニンジャウォーリアー」)ムーブメントとの重なりもあり、その物語が採用されたのだと考えられます。


しかしながら、今回の「SASUKE」におけるその物語には欠点があったようです。それはあまりにもそれが見え透いていたことと、「日本ガンバレ」と「SASUKE」の親和性が高くなかったことです。実況があからさまに「日本ガンバレ」と物語を与える様子は(おそらくディレクターから指示があったのでしょう)あまりにもみえみえで、それゆえ逆に嫌悪感を抱くことになってしまいました。また「SASUKE」ではアメリカ勢は日本勢に対する「敵」ではなく、同じコースを攻略する「同志」です。相手との勝負が原則的なスポーツの世界では「日本ガンバレ」は効果的と言えますが、「SASUKE」では勝負が主たる要素ではなく、逆に長野がリーヴァイを激励するなど国を超えた同じコースに挑戦する仲間としての友情にグッときたりする。それゆえうまく機能しなかったようです。その証拠にツイッターやSNSのコミュニティでは過剰な「日本ガンバレ」に批判的な声が多く上がっていました。


おそらく次回もアメリカ人参加者のムーブメントがある以上、再び「アメリカ勢vs日本勢」の構図を描き、「日本ガンバレ」の物語を採用する可能性は高いといえます。しかし、前述の理由から視聴者がそれに対して嫌悪感を抱き、機能していない以上それは必ずどこかで破綻をきたすはずです。


「SASUKE」に「日本ガンバレ」は必要ない。
一人の「SASUKE」ファンとしてそうした安直な物語を導入することなく「SASUKE」本来の魅力を描き出してほしいと切に願います。