コクリコ坂から


コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)


映画「コクリコ坂から」を見た。舞台は1963年の横浜。ノスタルジーな空間を醸成した作品。


ノスタルジーと言っても「ALWAYS 三丁目の夕日」のようなコテコテの古ぼけた「東京下町ノスタルジー」というわけではなく、セル画もきれいで、港町の様子が自然に風景に溶け込んだ感じが良かった。その時代の風景をシンプルに切り取ったような肩肘張らない感じは好感が持てた。



学園闘争がテーマ。ホームページに掲載されている宮崎駿のメッセージには次のようなことが書かれていた。

(…)結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。
今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。(…)


それに対して「コクリコ坂から」原作版コミックに掲載されている宮崎吾朗の解説では次のように回答していた。

どこでどう間違えたのか、僕は40歳も近くなってから、アニメーション映画に携わることになった。そして、新しい企画として『コクリコ坂から』が示されたときには、戸惑った。学園紛争という題材を含んだ『コクリコ坂から』は、嘗てそこが古めかしく見えて映画化できなかったが、今ならできるという説明にもピンと来なかったし、舞台を1963年に置き換えることの意味もピンと来なかった。東京オリンピックの前年である1963年といえば、日本は高度経済成長の只中にあって、その当時高校生だった人たちはいわゆる団塊の世代だ。現代社会が行き詰っているとするなら、その原点である時代を描いても、昔は良かった式の映画にしかならないのではないかという疑念がついてまわった。


宮崎駿が言うように、この映画で登場する学園闘争というテーマはノスタルジーとして描かれている。熱く議論を交わし、体制に学生が反発するという時代。それに対して、疑問を呈する宮崎吾朗。「昔は良かった」で思考停止して未来へ前進がないという、ノスタルジーを描く際の問題点に自覚的になっている様子が見られるけれども、映画を見ていてこの問題に対してどのように回答しているのかいまいちわからなかった部分もある。未来へ昔存在していた熱い思い、意思を受け継ごうとしていたのか。そのあたりがうまく伝わらず、やはり相変わらずの「昔はこんな熱く学生が戦い、議論していた時代があった」というノスタルジーの文法に回収されてしまっている気がした。


この問題についての宮崎吾朗の回答やインタビューもまだ発見できずにいる。



一方、少女マンガをアニメーション映画に持ち込んだという点でも、なんだかすっきりしない感じが残ったような気がする。二人が徐々に距離を詰めていく様子がよくわからず。二人の思いが近付く描写の不足に対して、気持ちの接近が早くそのあたりのズレを感じた。「『耳をすませば』を見ればいいじゃないか」という批判をかわせるか。