IPPON グランプリ


松本人志の存在がすごく気になる。番組全体を通じて「解説」を加えているけれど、どうもノイズに聞こえて仕方ない。この番組に果たして松本の存在は必要か。


ラリー遠田さんは「解説者」松本の存在を評価している。「CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE 2011」内の原稿「ポスト『お笑いブーム』の展望」の中で、自身も優秀な大喜利プレイヤーであり、また一流のお笑い解説者でもある松本の的確なコメントの数々は番組を見る上での大きな魅力であるとしている。バラエティ界全体で「松本人志」というアイコンが重荷になっているケースが目立つ中で、解説者としての新たな才能を引き出した功績は見逃せないという評価だ。


確かに松本の解説は鋭く興味深い。ただ、見ている限り常にメタ視点から見つめる松本の存在がベタに番組に没入することを躊躇させる、この感覚は否定できない。客観的な視点が常に与えられていることは、ネタに対する評価を嫌でも意識させられる。それは、純粋に大喜利を楽しむ上ではノイズだ。


松本の「場の空気」に対する解説は、メタ視点の可視化であり、番組をベタに楽しみたい多くの視聴者にとって明らかに邪魔で不必要なものとなっている。あえて解説を設置したのはなぜだろう。メタ視点を放棄することでこそバラエティは楽しめるものなのに。


なぜ松本は必要だったのか。チーフプロデューサーは「すべらない話」の佐々木さん。松本を解説に起用したのには何か理由があるのだろう。ただ、自分にはよく理解できなかったので、誰かそれについて言葉を持っている人は説明してほしい。