ソーシャルネットワーク


ソーシャルネットワーク」見てきました。

フェイスブックの創設者マーク・ザッカーバーグが友人との協力、そして裏切りを経験しながらその立ち上げの様子を捉えた物語。


バーチャル世界のフェイスブックを作り上げたマークのリアル世界での人間関係が描かれていて面白い。表現されていたのはマークの異質さ。人とろくにコミュニケーションとれないんじゃないのかと思わせる早口なしゃべり口調と自分の価値感を押し付ける性格。映画が話を合わせる様子なく彼女と口ゲンカし別れるシーンから始まるんだから象徴的。数少ない友人だった、共同創始者エドゥアルド・サベリンすらも会社に対する行き違いから裏切り、訴訟を起こされてしまうほど。


この映画からはリアル世界でうまく人間関係を築けていなかったマークがバーチャル世界で人間関係を築くシステムを立ち上げるという対置が透けて見えました。「非リア充非モテ)」人間がその反動からバーチャルにその空間を作り上げる…そんな自意識の物語として回収しても良いのかもしれません。その証拠に、マークが神妙な顔をしながら最初のシーンで振られた彼女にフェイスブック上で友達リクエストを送る様子が映画終盤に描かれていました。映画の主要なテーマではないかもしれませんが、リアルでの過ちや関係をバーチャルで回復するというその回路は見落とすべきではありません。



さて、映画を見ていてフェイスブックが広まったのはアメリカの(特に大学における)クラブ文化、社交文化、階層分化が背景にあるのだと感じられました。アメリカでは大学は人脈作りの場として機能している。社会的地位向上のため、将来のため…。クラブに入り、大学のうちにその人脈を作っておくことが求められていて、フェイスブックはそれをバーチャルな空間で体現しているわけです。それゆえに実名登録も必然。ハーバードというブランドに憧れた人々が殺到し、登録者数も爆発的に増えた。


日本では、現実とバーチャルが切り離された感覚(もちろん全く別とはいいませんが)を持っているのに対して、アメリカでは現実とバーチャルは強い相関関係を持っていてリンクしてようです。まさに「社交(=ソーシャル)」としてのフェイスブック。自分の将来や生活に直接的に影響する存在として機能しているのです。日本での「社交」とは概念が異なっているのがわかります。


アメリカでの「ソーシャルネットワーク」とはバーチャルではなく、現実に即したリアルなようです。そしてそれは、日本にはない「社交」の概念が反映されているからだと言えます。日本進出の攻勢を強めるとしたマーク・ザッカーバーグ。果たしてこれから日本にそのアメリカ式「社交」の延長戦上にあるフェイスブックが浸透するのでしょうか。実名をめぐる議論とともに2011年の主要テーマになる気がします。


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